大東流合気柔術は約900年の歴史の流れの中で、先人たちの厳しい血のにじむような研鑽を経て、他流では見られない
「気を合する合気の世界」に到達した武術である。
清和天皇の末孫である新羅三郎義光公に始まり、 明治になって大東流中興の祖と呼ばれる
稀代の達人武田惣角先生により世に広められるまでは、甲斐武田家~会津藩の一部上級武士及び、
奥女中にのみ伝えられる門外不出の秘伝武術とされていた。
武田先生の教えは力の強い体力のある人々には柔術(主に逆手、関節技)を教え
力も体力もない人々には合気(合する気)の技を伝えた。※大東流各流派により技が違う理由がこれである。
中でも永世名人堀川幸道先生は病弱で体力もなかったので、純に”合気”を教え伝えられたのである。
堀川先生が若い時、屈強な男5人が先生が小柄なのをみて馬鹿にして先生に打ち掛かっていったが
5人共あっという間に投げ飛ばされていた。
又ある時、村祭りの前日であった、村の青年が相撲の稽古をしている所を先生が通りかかると
青年達が相撲では俺達にかなうまいと言った。そこで堀川先生が土俵に上がり、青年達を相手にした
が誰一人相手にならなかったそうである。
合気が身についたら恐ろしいものであると堀川先生の言葉である。
大東流合気柔術 幸祐会の稽古は堀川先生直伝の”合する合気”を掴む為のものであり、
また、自然界の理合を用いるので一切の無駄な力を使わなくて済む様に出来ている。
人の体は本来「気の体」なのであり、この体の気を合して使うのが合気なのである。(錦戸師範)
合気(幸祐会)の稽古は、まず気の体をつくる事。
その為に気の体になるのを邪魔する無駄な筋力を捨てる事から始める。
これは合気の基本技の稽古を通してつかむことができ、全身が気の体になった人に合気を教える。
合気の稽古を練磨すると、気が益々身について強靭な合気体になる。
こうして病弱な体力のない人でも強靭な 体になる。
合気の技は、相手の力をすべて奪い取ってしまうのである。
相手の力を利用するのではなく合気で奪い取るのである。
合気が身についたら相手の力を奪い取ることができるのである。
堀川先生が合気が身についたら恐ろしいと言った意味がこれである。
幸祐会では合気修得のために二つの目を使う稽古を指導する。
一つの目は肉眼である。これは見える世界を見る眼である。
一つの目は心眼である。これは見えない世界を観る目のことである。
この心眼で観る稽古をすることによって見えないもの(気、合気)が観えるようにようになる。
幸祐会では、これを最初から指導する。